礼拝説教「安息日にまことの礼拝を」 牧師 鷹澤 匠
 ルカによる福音書 第13章10~17節 

  
 
 二〇一八年、新しい年を迎えました。今年は、一月一日の元日が月曜日となりまして、週の初めが正月三が日となりました。これは、牧師にとって有り難い日程でありまして、日曜日の説教の準備まで時間がある、そのため私も、今年のお正月は、例年になくゆっくり過ごすことができました。
 そして三が日、私、外を散歩しながら気がついたのですが、学園前では、もう二~三日から、お店がちゃんと開いているのであります。私が子どもの頃、私の地元では、正月三が日はお店はどこもお休みでした。初売りは四日から。でも今は、二日三日、早いところは、元日からお店が開く。大変ありがたいと思う一方、そこにお勤めの方々の大変さを思って、頭の下がる思いがいたしました。
 そこで私が思い出しましたのは、ドイツにおける週末であります。私、ほんの数ヶ月だけ、ドイツに語学留学をしたのですが、金曜日が、一番慌ただしかったことを思い出しました。毎週金曜日、午後一時に授業は終わります。そして、町のスーパーが、金曜日の午後三時に閉まる。そして、月曜朝までスーパーが開かないのです。そのお店だけではないのです。町中のお店が、ほぼすべてそうでありまして、とにかく買い物は、金曜午後三時までに済ませないと、週末に食べる物がなくなってしまうのであります。ですから、毎週金曜日は、大急ぎで買い物に行ったのを覚えています。そして、土曜日、日曜日、昔の日本のお正月のように、お店はどこも閉まって、町が閑散とするのであります。
 これは、「安息日」の習慣に基づいています。ドイツでは、昔、日曜日を「安息日」として定め、働くことを禁止した。勤めに出ることも、お店を開くことも、条例で禁止され、教会の礼拝に行く、そして、「畑の見回りのための散歩に行くこと」だけが許されたそうなのであります。今は、そのような条例はないそうですが、私がいた町では、まだその習慣が色濃く残っておりました。
 「日曜日、礼拝以外、何もしない」。それも、いいものだなぁと思いました。娯楽施設もありませんので、家にいるか、また散歩をするかしか、やることがない。私の場合、礼拝に行ったあと、そのまま散歩に出掛け、ベンチを見つけ、そこで聖書を読む。そのような日曜日を過ごしておりました。
私たちの国には、安息日の習慣はありません。お正月でさえ、なんだか慌ただしい。しかし私たちは、日曜日、ここに集うのであります。普段、たえ間なく動いている手を止め、足を止め、そして神様に思いを向ける(神様を礼拝する)。今日も、私たちは、「礼拝」という安息を味わいたいと願うのであります。
 
 ルカによる福音書第一三章、一〇節からが、今日の御言であります。一〇節から、もう一度、読み進めてまいります。
 
 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。 
 
 今日の御言は、安息日の会堂が舞台です。ただ、この会堂が、どこの町(もしくは、どこの村)の会堂であったのか、よく分かりません。イエス様はこのとき、弟子たちと共に旅をしておられた。その旅の途中、安息日となり、どこかの会堂に立ち寄られたのであります。そしてこの安息日、イエス様が、その会堂に集まった人たちに向かって、説教をなさったのであります。「なんとも、うらやましい」と思います。イエス様は、当時の習慣に基づいて、説教をしました。当時、男性ならば、安息日、会堂で聖書を説くことができた。飛び込みのイエス様も、聖書を説くことが許された。そして、その場に居合わすことができた人たちは、なんて幸いだったのだろうか、と思うのです。イエス様の声をその耳で聴き、そしてイエス様からの聖書の説き明かしを直に聴くことができた。うらやましい、想像しただけで、ドキドキするような出来事であります。
 するとそこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた というのです。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。
高齢になり、腰を痛め、曲がってしまったのかも知れません。また、「病の霊に取り憑かれている」という強い表現が使われていますので、若くして病になり、腰が曲がってしまったのかも知れない。いずれにせよ、一八年もの間、彼女は、その病に苦しめられてきたのです。
 イエス様は、その彼女を見つけます。そして呼び寄せてこう言われた。「婦人よ、病気は治った」。そう言われて、イエス様が手を置かれた途端、その病気は治る。彼女は、腰を伸ばすことができるようになる。人々は驚きます。しかし、それに腹を立てた人がいたのです。一四節。
 
 ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」
 
「会堂長」というのは、会堂の管理人です。会堂の鍵をあずかり、礼拝の準備などをする責任者だったのですが、その会堂長が、イエス様に腹を立てたのです。なぜかと申しますと、「安息日には仕事をしてはいけない」という掟があったからなのです。
ユダヤの掟では、「安息日」、それは、すべての働きをやめなければならない日でした。(「その日は、休暇だから、休んでもいい」、その程度の日ではなく、「必ず、休まなければならない日」、「何があっても、働いてはいけない日」。)そしてこの時、イエス様が行ったことも、医療行為でありまして、会堂長はそこに腹を立てる。しかし、この会堂長、直接イエス様に向かって、物を言う勇気がなかったのか、人々に向かって言うのです。ところが会堂長は、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。安息日はいけない」。
 しかし、イエス様は、一五節。
 
 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
 
「安息日だから」と言って、牛やロバに水を飲ませなかったら、死んでしまいます。ですから人々は、安息日でも、綱をほどいて、牛やロバを水場へと連れて行った。イエス様は言われる。「牛やロバでさえ、そうするのだから、このかけがえのない女性に対して、その綱をほどくのは、当たり前ではないか。彼女は、病そしてサタンに縛られていたのだ。一八年も縛られていたのだ。わたしは、その綱を、どうしてもほどきたかった、その束縛から解放してあげたかったのだ」。イエス様はそうお答えになる。その結果、一七節。
 こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のす ばらしい行いを見て喜んだ。
  こういう出来事が起こったのであります。
 
 今日の出来事は、決して、派手とは言えない出来事であります。イエス様は、多くの奇跡を起こされました。一声で、波や嵐を収めたり、五つのパンと二匹の魚で、五千人もの人たちの空腹を満たしたり、また、死者を生き返らせたりした。それらの出来事に比べると、今日の箇所は、「派手とは言えない」、むしろ、「地味な出来事」だと言えるのかも知れません。しかし、私、「それだけに、いい出来事だ」と思うのです。
 この時、会堂に何人、人が集まっていたのか。それは分かりません。町中の人(村中の人)が、ほとんど集まっていたはずですので、相当の人数だったことでしょう。しかしイエス様は、その中の一人、腰の曲がった女性に、目を留めてくださった。しかも、当時の会堂は、男性が座る席と、女性が座る席が分かれていまして、男性が前、女性が後ろだった。そしてイエス様は、前で、(当時の習慣からすると)座って、聖書を教えておられたはず。ですから、イエス様と女性との距離は相当あったのです。それなのに、イエス様は彼女に気づく。さらに彼女は、腰が曲がっていた。他の人たちよりも、ずっと小さく体を丸め、うずくまるようにして座っていた。にも関わらず、イエス様は、その女性に目を留めてくださる。そして、「一八年・・、一八年も、苦しんでいたのだね」と言われて、手を差し伸べてくださる。決して派手な出来事ではない。いつも奇跡を起こしておられたイエス様にしてみれば、「いつものこと」、「日常のこと」。しかしそれだけに、私たちの心を打つ。「ああ、イエス様は、いつも、そして常に、私たち一人一人を見てくださっている。一人一人の痛みを、そう!、今ここに座る、私たちの痛みをも、イエス様は、すべて目に留め、知ってくださっている」。
 
 私、いまだに忘れることができない、そして時々ふとしたことで思い出す、一人の男性の方がいます。その方は、私が長野の教会にいたとき、ある日曜日に、突然来られて、それ以来、毎週、礼拝に来てくださっていた方でした。背がすらりと高く、見たところ、五〇代後半から六〇代ぐらい。物静かな方で、礼拝堂に入るときは、必ず帽子を取って、軽くお辞儀をしてから入ってこられる。そしていつも、礼拝堂の一番後ろの席にお座りになり、じっと私が語る説教を聴いてくださっていたのです。
 礼拝が終わると、その方は、黙って、一番最初にお帰りになるので、私も、どのような方なのか、よく分かりませんでした。そして一ヶ月ぐらい経ったころ、やっと、その方を呼び止めることができました。そして少しお話をしたら、その方はこう言われたのです。「わたくし、ちょっとした流行病を患っておりまして・・」。何だろうと思いました。私が真っ先に思い浮かんだのは、うつ病でした。そして、「それならば、あまり声をかけない方がいいかな」とも思ったのであります。
 半年以上、その方は、毎週ほぼ欠かさず、礼拝に出席してくださいました。そしてある日曜日、「少し入院することになりました。しばらくの間、礼拝をお休みします」と言われた。私は、「お見舞いに行きます」と言ったのですが、「すぐに退院しますので」と言って、断られた。しかしそれから、数ヶ月間、その方のお顔を礼拝で見ることができませんでした。
 半年ぐらい経ってからでしょうか、その方のご夫人が、教会を訪ねて来てくださいました。そして夫人は、私にこう言われた。「夫は、亡くなりました。ずっとガンを患っていて、教会に通っていたときには、すでに治療ができない末期の状態でした。でも、感謝しています。最後の数ヶ月間、夫は、とても嬉しそうでした。平安のうちに、息を引き取りました」。
 私それを聞いて、本当に恥ずかしく思いました。「ああ、何も分かっていなかった」と思ったからです。まさか、末期ガンとは思わなかった。また、そのような思いの中で、礼拝に来て、席に座って、説教を聴いている。その方のお気持ち、また礼拝に対する思いを、私は何一つ、分かっていなかった。本当に恥ずかしく思った。そして同時に思ったのは、「私は、牧師として、一所懸命、礼拝に来る方々のことを知ろうとしているけれども、分かっているのは、本当に一部。いや、実はほどんど分からない中で、毎週、説教を語っている。ああ、なんて、重い責務を担っているのだろうか!」、私は、そのような畏れをも抱いたのであります。それだけに私、今日の御言、この出来事が、心に染みるのです。イエス様は、すべてを知っていてくださるのです。礼拝堂の隅に、うずくまるようにして座っていた女性の痛み。彼女の苦しみ、そのすべてを、イエス様は知っていてくださった。彼女が苦しんだのは、肉体の痛みだけではなかったでしょう。腰が曲がっていたために、どれだけ周りの人たちから冷たい目で見られていたか。そして時に、残酷な言葉を浴びせられる、「あなたは、もう、使いものにならない。あなたは、家族の、そしてこの村のお荷物」。彼女は、それでも礼拝に行く。礼拝に行って、うしろの席で、目立たないようにして、じっと神様の言葉に耳を傾ける。そして彼女は、繰り返し祈ってきたに違いない。「わたしは貧しく、孤独です。主よ、御顔を向けて、わたしを憐れんでください」。
 その彼女に、イエス様は、目を留め、ご自分のもとに呼んでくださった。「婦人よ、アブラハムの娘よ」、イエス様はそう呼びかけ、彼女を病の束縛から、そっと解放してくださった。
 
 イエス様は、こう言われました。
 安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。
イエス様は、「やるべき」という言葉を使いました。これは、元々は、「デイ」という言葉です。そしてこの「デイ」という言葉は、強い意志を込めるときに使われる。実は会堂長も、この直前で、同じ「デイ」という言葉を使っています。「働くべき日は六日ある」。
これも、強い口調なのです。「働くべき日は、六日」。逆に言えば、「安息日は、働くべきではない、何があっても、働いてはいけない!」。会堂長も、強い口調、語気を強めて、そう言った。しかしそれは、人の痛みや苦しみを顧みない、ただただ、原則を述べているだけの言葉だった。しかし、イエス様は違った。「安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか」。イエス様の「デイ」は、愛に基づく。押さえきれない愛、まるで、湯が煮えたぎり、鍋から溢れ出ていくような、イエス様の内側からの愛が、彼女へと向けられた。「婦人よ、アブラハムの娘よ」、そう言って、イエス様は彼女に手を置き、彼女を病の束縛から、解放してくださったのです。
そして、この「デイ」という言葉は、イエス様の受難予告(イエス様の十字架と復活を、ご自身が予告された)、その中でも使われているのです。最も強い意志、イエス様、神様の、最も強い愛のご意志は、イエス様の十字架、そして復活にあった。
 「デイ!、あなたたちのために、(罪のゆえに、うずくまるあなたたち罪人たちのために)、わたしは、十字架を背負う」。
 「デイ!、あなたたちのために、(死の定めから逃れることができないあなたたちのために)、わたしは、よみがえりの命となる」。
 十字架と復活、それは、「デイ」、イエス様、そして神様の強く、激しい愛によるものだった。
 
 教会員のOさんが、お亡くなりになりました。明日、ご家族だけで、ご葬儀を行います。Oさんは、私たちの教会の最高齢一〇二歳でありました。Oさんは、教会の方々と多くお交わりになった。それだけに寂しい、家族肉親を失ったように、悲しく、寂しい思いを抱いておられる方もいると思います。しかし私は、今日の箇所に出てくる女性のように、イエス様が、Oさんのことも、強く激しい愛をもって、今なおその御手のうちにおいてくださっていることを信じるのです。「デイ」、イエス様は、Oさんのためにも十字架についた。「デイ」、イエス様は、Oさんのためにも、よみがえりの命となった。そして、「デイ」、神様は、必ずOさんの罪を赦し、死の中から引き上げてくださる、その日が来る。「そうせざるを得ない、それが、わたしの愛!」、Oさんは、そのような神様の愛の中で、召されたのであります。
 
 病を癒された女性は、神様を賛美しました。また、「人々も、イエス様がなさった数々の素晴らしい行いを見て、喜んだ」と記されている。
 安息日、名も知れぬ町、もしくは村の会堂で、「まことの礼拝」が起こったのであります。神様の愛を知って、その思いを受けて、安息日に最もふさわしい礼拝が起こった。
 私たちも同じです。私たちも、今日ここで、神様の愛を知った。安息日が、今日ここで、安息日となったのであります。
 
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