礼拝では、毎週、聖書に基づく説教(メッセージ)が語られます。
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説教全文
| 『山上の説教』より |
|---|
| 心の貧しい人々は幸い |
| 憐れみ深い人たちは幸い |
| 平和を実現する人々は幸い |
| 御心の天になるごとく |
| 御国を来たらせたまえ |
| 怒りを捨てよ |
| 積極的な愛 |
| 神様が見ておられる |
| 明日のことまで思い悩むな |
| 求めなさい。探しなさい。 |
| 『主イエスの譬え話』より |
|---|
| あなたも憐れみに生きよう |
| 計算が合わない神の愛 |
| 閉じてしまう扉 |
| ムナのたとえ |
| ラザロと金持ち |
| 迎え入れてもらうために |
礼拝説教抜粋「もう泣かなくともよい」 牧師 鷹澤 匠
主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。(ルカによる福音書第7章)
「もう泣かなくともよい」。なんて素晴らしい言葉だろうと思います。
イエス様が、ナインの町に入ろうとなさったとき、門から葬儀の一行が出てきました。やもめの一人息子の葬列。
当時も、葬列には道を譲るのが常識でした。しかしイエス様は、その葬列の前に立ちはだかり、息子を失った母親に、「もう泣かなくともよい」とお語りになったのです。「もう泣く必要はない。あなたが涙を流す理由は、もうどこにもない!」。このひと言が、葬儀の列の足を止めたのでした。
この言葉をお語りになったイエス様は、憐れに思い、こう言われたと聖書に記されています。つまり、イエス様の憐れみが、止まるはずがなかった葬儀の列の足を止めた。人間の宿命である「死」を止めた。そして、「死」は、イエス様の憐れみの向こうへ行くことができなかったのです。
イエス様は言われます、死を恐れ、死に涙する私たちにも、憐れみをもって言われます。「もう泣かなくともよい。もう、あなたが泣く理由はなくなったのだから!」。
(礼拝説教より 抜粋)
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